クラシック音楽の演奏評雑誌であるレコ芸が廃刊になるとの記事がツィッターやニュース記事でここ数日目にすることが多く、レコ芸もとうとう廃刊か、と。
10代後半から20代後半まで10年くらいは毎月購入して読んでいました。何もわからない10代後半はレコ芸の評論を鵜呑みにしていた部分もあり、始めて買う曲の評論などは良く読んで参考にしていたものです。しかし、20代になり所有するレコードやCDが増え、同曲異演盤が増えるに従い自分の価値観で演奏を捉えることが出来るようになるにつれて、レコ芸執筆者の幼稚な価値観や物言いが不快に感じられるようになりました。演奏を聴いて好きな演奏者が増えるに従い、レコ芸の評論に価値を感じる事が出来なくなり、惰性で買い続けたのが最後の数年、インターネットを導入してからは買わなくなりました。
なのでレコ芸が廃刊になっても、STEREO誌と違い手に取ることさえなくなっていたので、困ることも寂しい気持ちも全くないのが正直なところ。
20代後半になると気になった演奏のレコードやCDはとりあえず買って聴く、というスタイルになっていたので、そうなるとガイドとしての役目は不要になりますし、何よりもあの上から目線の独りよがりな評論文は不要なので雑誌としての価値はグラモフォンや英デッカ、EMIなどの広告ページだけになっていました。
評論?批評?まー、どっちでも良いですが、演奏家に対するリスペクトが一切ないあのレコ芸執筆陣の文章は読むに値するものではないと思っていました。
近年の執筆陣は知りませんが、昔の執筆陣は何故か、とにかく上から目線で演奏者に対するリスペクトのかけらもなく、そうなるともうこの人は音楽を愛しているのだろうか?という疑念でいっぱいになってしまう状態でした。
指揮者に関していうと、私はカラヤン、ワルター、マゼール、マリナー、アバド、ムーティ、小沢、バーンスタイン、ゲルギエフ、フルヴェン、トスカニーニ、メンゲルベルク、クナッパーツブッシュ、ジュリーニ、カルロス・クライバー、クーベリック、アーノンクール、スラットキン、ブーレーズ、ヴァント、、、、、挙げればきりがありませんがみんな大好きな指揮者たちです。
交響曲全集でいうとブラームスで100セットくらいで、ベートーベンでも50セット以上所有しています。全ての演奏が全く違います。そして全ての演奏は素晴らしい。もちろん、一番好きな演奏、というものはあります。しかし、その一番好きな演奏と対極にあるような演奏をダメな演奏などとは思えません。「聴く側」からすれば新しく聴く演奏は異なる解釈の演奏であって欲しいと思うタイプなのです。
そういう人間からするとレコ芸執筆者の批評はなんの価値もない。
クラシック演奏の批評で私が嫌いな言い回しというのがあります。
一旦バラバラに分解してそれを再構築する、とか
モーツァルトの精神性に深く共感した解釈、とか
ケレンミのない、とか
これも挙げれば枚挙に暇がないレベルでキリがありません。
上の例はそのような言い回しを使う事で名批評を書いてるんだ、と酔ってる阿呆どもが多用する言い回しです。
典型例を一つ挙げましょう。
カラヤンのモーツァルトのディベルティメントだったかセレナーデだったかの批評に、モーツァルトの精神性がまるで感じられないケレンミたっぷりのうすっぺらい演奏だ、なんてやつです。レコ芸系のクラシック批評を読んだことがある方なら何度も目にしたことがある言い回しじゃありませんか?
私は突っ込みを入れたくなるのですよ。10歳くらいで作曲したモーツァルトの精神性ってどんなのよ?10歳のガキの深い精神性っていったい何よ?と。天才だけど所詮10歳のガキに一体どれだけの深い精神性があるのかと。大人になっても、うんこー!ギャハハハハ!ってやってたモーツァルトの精神性が感じられる演奏って何?
一応念のために言っておきますが、一番好きな作曲家はモーツァルトです。
何が言いたいのかと言いますと、ディスクとして発売されてるレベルのプロの演奏家のものは、全て素晴らしいのです。なんで上から目線でけなすのか意味が分からない。
色んな演奏を楽しめる方が幸せなミュージックライフを送れますよね。
実はこれも評論家の文章を読んで教えられたことなんですけどね。岡俊雄さんというステレオサウンドなんかに文章書いてた方なのですが、この方のステレオサウンドにおける文章の一文にハッとさせられたことがありました。
エコノムというピアニストの弾く展覧会の絵を買って聴いたのですが、期待と違う演奏でした。テンポの取り方などこの曲に対する自分のイメージと大きく異なっていたためがっかりしたのです。一度聴いて、2度目はないな、なんて思いながら棚に。
その後ステレオサウンドにこのディスクの演奏評が載ってたのです。岡俊雄さんのものでした。内容は忘れましたが、
「これはこれで楽しめた」
という一文にドキっとさせられたのです。この人は俺とは聴き方が違う、と。作曲者や演奏者に対するリスペクトがあるのだ。そして受け入れる間口が広いのだ。自分の狭小な価値観を思い知らされたのです。こういう演奏でないとダメなのだ!って聴き方はまるでレコ芸じゃないか、と。
それ以降私は今のスタイルになったので、岡先生の影響は私の音楽生活に多大な影響を与えてくれました。
ということで、評論家はかくあるべきだろ、と。レコ芸廃刊やむなし。
コメント